アップルは、人工知能を使って生成した著作権フリーな楽曲を様々な生活空間に適合させるシステムを構築するイギリスの音楽スタートアップ「AI Music」を買収したことが報じられました。Bloombergは今回の買収は「ここ数週間で完了した」と報じていますが、アップルはコメントを控えています。AI Musicが最近提出した書類によれば、登記上の住所はアップルUKが使用する住所に変わっており、アップルの法務担当ピーター・デンウッドが取締役に専任されたことから、今年に入ってから買収が行われたことを示す証拠になっています。アップルの音楽系企業の買収は2021年にクラシック音楽専門のストリーミングサービス「Primephonic」が最後になります。
AI Musicの買収を、どう評価すべきでしょうか? アップルは人の手によるキュレーションの重要性を主張してApple Musicを始めました。今回、音楽を自動生成するアルゴリズム開発のスタートアップを買収したことは、ある意味で皮肉でもあります。
同社の特徴は、音楽を一つのジャンルやムードから別のものに再編成する技術です。ただゼロから音楽を生成するのではなく、AIを使って音楽の消費方法を変える技術を強調していました。
AI Musicの存在が初めて明らかになったのは、2017年に音楽系スタートアップのアクセラレーター・プログラム、Abbey Road Redにまだステルスモードだった当時に参加した時でした。
Music Allyは2017年8月、CEOのSiavash Mahdaviに取材を行っていました。その中でMahdaviは「『コンテクスチュアルAI』という考え方がベースにあります。ある曲を聴く時、朝には少しアコースティックなバージョンに変わるかもしれません。ジムで聴く時には、ディープハウスやドラムンベースのバージョンになるかもしれません。そして夕方にはジャジーに変わる。曲が自らスタイルやジャンル、キーを変えることがることができるのです」と語っていました。
その後、AI Musicは500万ポンド(約7.8億円)の資金を調達。2019年には、アーティストやクリエイター向けに、ボーカルとバックトラックをミックスさせ楽曲制作を簡素化するiOSアプリ「Ossia」を発表しました。また広告業界やマーケッター向けに、ターゲットとなる消費者や環境別にAIがパーソナライズした楽曲を生成する「Sympaphonic Ads」を開発しました。2021年には、VentureSonicというスタートアップをMade Music Studioと共同で立ち上げ、Publicis MediaやVirgin Hyperloop、Polarisといった企業をパートナーに迎え、ブランドや広告エージェンシーが音楽を活用するためのオーディオブランディング用技術「VentureSonic AI」の提供も始めていました。
アップルからの視点で見れば、AI Musicはどこに当てはめられるでしょうか? プレミアム音楽ストリーミングのApple Musicでは、AI Musicの広告業界向け技術はほとんど使う機会は無いと予想できます。一方、利用者が増加しているApple Podcastsアプリ内でポッドキャスト番組向けに同社の技術を採用出来る可能性はあります。
しかし、AI生成の著作権フリーな楽曲制作技術には、権利の問題が付き物です。この領域に挑戦する音楽スタートアップLoudlyは、2021年5月にMusic Allyの取材に対して、原盤権の保有者からの同意無く、サードパーティや一般人が楽曲をリミックスしたり勝手に生成することの難しさを語っています。
一方、楽曲制作やリミックス技術を行うAIとアルゴリズムは、ゲームのサウンドトラックの制作と相性が良いため、iOSゲーム開発者向けのツールとして提供できるかもしれません。
またGarageBandやLogic Proといったアップル製の音楽制作ソフトウェアに統合されれば、リアルなミュージシャンが作曲したり、コラボレーションする上での技術的サポートも提供できそうです。
加えて、近年アップルが注力するフィットネス・サブスクリプション「Apple Fitness+」では、ワークアウトの強度やユーザーの適性に併せて楽曲を適応させてプログラムを提供することも可能性はあります。
もう一つのシナリオも考えられます。2017年、SpotifyはAIを使った楽曲生成の第一人者の一人、フランソワ・パシェを採用し、「AIによる次世代作曲ツールの開発」プロジェクトを始めました。パシェの開発した楽曲生成ツールの結果は、2019年にフランス出身アーティストBenoit Carreが「Skygge」名義でリリースした「American Folk Songs」EPで聴くことができます。AI Musicの技術は、Carreのような意欲的なアーティストやクリエイターをアップルが制作面で支援するために活用する可能性があります。
AI Musicの買収によって、アップルはAIが楽曲生成する技術を獲得し、同社の様々なサブスクリプション・サービスやコンテンツ開発へ採用できる可能性も見えてきました(Apple Musicとの直接的連携は少なそうですが)。私たちは、リアルなアーティストをAIが置き換えるといった議論ではなく、より多くの音楽を生活空間で消費してもらうための楽曲生成方法と適応方法に焦点を当てて考えるべきかもしれません。